京都のパワースポット廻り③ 晴明神社
晴明神社は、京都御苑の西側に位置する神社です。平安時代に活躍した伝説の陰陽師「安倍晴明」を祀っています。
晴明神社は、一条天皇が安倍晴明の功績をたたえて、晴明の住んでいた屋敷跡に建立されました。
また1005年に晴明が亡くなって、2005年には安倍晴明千年祭が行なわれました。
(本殿)
ご利益は、「魔よけ」「厄除け」の神社として人気のパワースポットです。
晴明神社のシンボルである五芒星の形は、天地五行「木・火・土・金・水」の五つの気を結んでいます。この五芒星の井戸は、晴明の念によって湧き出た「霊水」といわれ、飲むと病気平癒に効果があるといわれています。
「厄除桃」桃を撫でて祈願すれば、厄除け・開運が授かるといわれています。
(厄除桃)
(絵馬)
(お守り)
清明神社から南に100mほどのところに、一条戻橋があります。
由来は、漢学者三好清行の葬儀がここを通りかかった際に、一瞬生き返ったという伝説があります。
京都では嫁入り前の女性は、実家に戻ってはいけないという意味から、この橋に近づかないという習わしがあるそうです。
清明神社の境内には、一条戻橋のミニチュアが置かれていますが、欄干の柱は昔の一条戻橋のものです。
また、秀吉によって切腹を命じられた利休の首が、さらされたところが一条戻橋です。
(現在の一条戻橋)
(晴明神社の境内にある一条戻橋)
悪いことが続いてるのであれば、是非晴明神社をご参拝してみてはいかがですか。
京都のパワースポット廻り② 神泉苑
京都の観光客の少ない穴場スポットの神泉苑を紹介します。
(二条城)
元は平安京に天皇のために造られた庭園でした。現在では小さな神社ですが、昔は二条城を含めたこのあたり一帯が、神泉苑の広大な敷地であったそうです。そのため京都の御池通りの由来にもなり、また祇園祭の発祥地でもあります。
(神泉苑内の法成池にかかる法成橋)この橋は「願い事を叶えてくれる」橋として有名です。願い事を唱えながら渡り、その先の「善女龍王社」に参拝すると願いが叶うといわれています。ただし願い事は一つだけです。
神泉苑には、多くの伝説が残っています。
「善女龍王伝説」
ひどい干ばつが続いたため、朝廷が「東寺の空海」と「西寺の守敏」に雨乞いを依頼した。空海は、インドの雨乞いの神「善女龍王」に祈祷すると
神泉苑から巨大な龍があらわれ、雨を降らしたといわれています。
以後、神泉苑は東寺の支配下に入りました。
それ以来、善女龍王は神泉苑に棲みつき、この池はどんなに日照りが続いても枯れることがないといわれています。
静御前が法成橋で舞を奉納する姿に、源義経が恋に落ちたといわれています。二人を引き合わせたのが「善女龍王」だったという伝説もあります。それで縁結びの神社としてもご利益があるといわれ、若い女性も多く参拝しています。また、静御前の御朱印もあります。
神泉苑は、京都の中でも龍神パワーに溢れており、気を高めてくれます。
(善女龍王社)
(善女龍王社)
神泉苑には、日本で唯一の恵方神社があります。この社の特徴は「その年の恵方」に向かって社殿を動かすことができることです。
(本殿)
神泉苑の境内に神泉苑平八の店があります。池を眺めながら食事ができ、予約すれば船館「龍王船」での食事を楽しむことができます。
名物はうどんちりと京懐石です。うどんちりは3,400円~4,400円
京懐石3,600円~6,000円
龍神様が怒って大雨にならないように、そのパワーを鎮めているのだろうか。
気を高めたい方、龍神パワーのご利益を授かりにお参りしてはいかがですか。
京都のパワースポット廻り① 御金神社
京都のパワースポットを廻って、運気を高めてきました。
今回は、「御金神社」をご紹介します。
「御金神社」は、「おかねじんじゃ」と読むのではなく「みかねじんじゃ」と読みます。
御金神社は、もともと民家に祀られていましたが、明治16年現在の場所に建立され、「御金神社」となり、金神様(こんじんさま)の愛称で地元の人に親しまれています。
京都の二条城の近く西洞院通御池上ルの住宅街に建つ小さな神社です。
神社の鳥居といえば赤い鳥居を思い浮かべますが、ここの鳥居は金箔を施した黄金に輝く鳥居でした。平日の日にもかかわらず、国内外の旅行客で賑わっていました。
本殿の屋根瓦にも金の文字
この御金神社の祭神は、日本神話に登場する金山毘古神(かなやまひこのかみ)が祀られています。金属全般(剣、鏡、鋤、鍬など)にご利益を授けてくれる神様として信仰されています。さらには通貨に用いられる金・銀・銅も同じ金属としてのご利益があることから「金運の神様」、「資産運用の神様」として広く崇拝されています。
境内には天照大神、月読神も祀られています。
境内のイチョウの絵馬(御神木がイチョウの木)には、宝くじや競馬・競輪の当りやお金に困らないように祈願する絵馬で溢れていました。 (人間の欲望の深さはすごいです)
(絵馬)
お守りは、いろんな種類がたくさんあります。代金は木箱にセルフで入れるのでお釣りがないように小銭を用意しておかなければ買えません。
福財布が有名みたいです。(宝くじや通帳を入れておく)
冬にイチョウの葉が散ると、2匹の龍の形をした枝が現れます。その形が仲の良い夫婦に見えることから夫婦龍といわれています。
またイチョウの落ち葉を財布に入れておくと金運アップするといわれています。
手水舎でお金を洗って持っておくと金運上昇するといわれています。
「情報を活かす力」(著:池上彰)を読んで
わかりやすい解説で人気のある池上彰さんが書いた「情報を活かす力」を読んでみました。本の中でなるほどと思った役立てたい情報の活かし方をご紹介します。
私たちが日々新聞やメディアなどで仕入れる情報は、表面的な理解にすぎません。深く理解し、使える情報にするためにはどうすればよいのか。
「誰かに説明するつもりで情報収集をする」説明できることで、初めて自分の頭のなかで整理された情報として身についていくのです。
情報収集するときには、情報を伝える「相手が何がわからないか」を意識的に考えて行なうことが重要です。それだけでも「説明がわかりやすい」という評価を得ることができます。
誰かに説明して反応が良くない場合は、情報そのものよりも「伝え方」がよくない可能性が高いのです。他人とのコミュニケーションでは、相手に物事を伝えるときに「要するにこういうことです」と簡潔に伝える能力が必要になります。その能力を養う上で、「新聞記事を短くする」訓練は大変役に立ちます。「要するにこの記事は何を言いたいのか」を把握できなければ、要約することができません。文章を短くしようと考えながら読むことで、「要するにどういうことか」をつかむ能力が養われていきます。
さらに、自分の考えを誰かに発信していくには、内容を相手に理解してもらう必要があります。そのためには表現力や文章力が必要になります。短い文章は読みやすく、聞いている人にもわかりやすいメリットがあります。短い文章を積み重ねることで、リズムが生まれ、説得力が増していくのです。
では、文章を書くのが苦手な人は、どうしたらよいのか。
まず、何でもいいから思いついたことを書いてみる。文章にすることで、自分の考えをまとめる訓練になります。
つぎに、文章力を上げる方法として、意識的に接続詞のない文章を書くことで論理力を鍛える。文章を書くときは、接続詞を極力少なくする努力をしてみる。接続詞の多い文章は幼稚な文章になってしまうのです。
例として、小学生の文「朝起きました。そして歯を磨きました。そして朝ごはんを食べました。そして学校へ行きました。」のようにそしての連発が、幼稚な文章と感じられてしまいます。
また話し上手な人は、「つかみ」がうまい人です。話し上手は、最初に「えっ」と思うようなことから話始めます。
プレゼンテーションの原稿を考えるときにも、最初に「とにかくすばらしいです」とか「とにかく驚くべきことなんです」と書いて、それから「それは~だからです」と話を展開させていくのです。原稿が完成したら「とにかく・・」という文章を削除します。こうすることで、いちばん伝えたいことを最初に述べることができます。
その他、ここでは紹介しませんでしたが取材・インタビュー術や読書術、ニュースの読み解き方などの情報があります。
この本を読んでみて、情報収集の活かし方について、「へぇ~」と思うことなど、今までと違う面からも考えられ、なるほどということを感じさせてくれました。さすがわかりやすい解説で知られる池上さんの本でした。
中之島フェスティバルシティを散策
好天に誘われて、中之島フェスティバルシティに行ってきました。
中之島フェスティバルシティは大阪市北区中之島2丁目、「中之島フェスティバルタワー」と「中之島フェスティバルタワー・ウエスト」の2棟のツインタワーからなっています。また、2棟は地下1階で連絡しています。
地下鉄四つ橋線「肥後橋駅」、京阪電車中之島線「渡辺橋駅」より直結しています。
(中之島フェスティバルタワー・ウエスト)
今回は、4月17日に開業した中之島フェスティバルタワー・ウエストの紹介をいたします。
6階~31階はオフィス
33階~40階にホテルコンラッド大阪(ヒルトングループ)が6月9日にオープンします。33階~39階が164室の客室、40階はレストランやバー、ランウンジ、スパ、プール、フィットネスクラブ、ウエディングチャペルなどが配置されるそうです。1泊1室45,000円~
(コンラッド大阪の1階専用入り口がありました)
4階は、香雪美術館と中之島会館(多目的ホール)があります。香雪美術館は、東洋の古美術品などを収蔵する美術館で、2018年春オープン予定になっていました。
3階は、サンマルシェの食堂があり、洋食から和食までいろいろとトッピングでき、このビルの中では手頃な値段でした。店内にあるプリペイカードによる支払いになっていました。
(サンマルシェ食堂)
2階~地下1階は、商業施設として17店舗がオープン。ただし、まだ準備中の店舗もありました。
(2階)
焼肉トラジ(焼肉)ランチは焼肉御膳2,000円・トラジ御膳2,500円・特選焼肉御膳4,000円・石焼ビビンバセット1,500円・炎のジャン麺&握りセット1,500円
東京発、大阪2号店
石窯料理とクラフトビールROAST(ロースト)
ダイナミックキッチン&バー響 和食宴会コース4,300円~
江戸前寿司 鮨 美寿志(みすじ)ランチ 江戸前にぎり3,000円・日本橋にぎり5,000円・特上美寿志にぎり7,000円・昼会席7,000円 西日本初の出店
福吉兆(日本料理、会席料理)近江牛肉丼2,800円・鰻丼3,500円・松花堂弁当4,500円
花懐石7,500円・懐石福15,000円
(1階)
和光(時計、ファッション雑貨等専門店)
(地下1階)
鳥料理 藤よし(焼き鳥×ワイン、唐揚、釜飯)
ランチタイムは明太子食べ放題でした。
レッド・ブリックスー店内の大型モニターでスポーツ観戦をしながら食事を楽しめるそうです。
スパイス&ハーブスーパードライ
ファミマー街中のファミリーマートとは違う外観と商品揃えの「ファミマ」でした。
ラーメン而今(じこん)鳥ラーメン
ランチの時間帯は、サラリーマンでどこも行列ができていました。
私は時間をずらして、東の地下1階にあるエリアの「遊遊」で昼食にしました。
旬魚旬菜 遊遊
「遊遊」のハンバーグ御膳、これだけいろいろついて880円でした。
他にもランチの種類が多かった。
(フェスティバルタワー・ウエストに写ったフェスティバルタワー)
食後に淀川を散策しました。
(日本銀行大阪支店のビル)
(淀屋橋)
(淀川の左手に大阪市役所)
2017年「京都葵祭」と5月の京都「吉田神社・真如堂・福石大明神と鴨川」
2017年5月15日に行なわれた葵祭りに行ってきました。
葵祭りは京都三大祭(祇園祭・時代祭・葵祭)の一つで、下鴨神社と上賀茂神社の例祭として行なわれています。京都御所を10:30に出発し、下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かう約8kmを約5時間かけて練り歩きます。
行列は総勢500人を越え、人や社殿の御簾(みす)、牛車に至るまで二葉葵を飾ることから葵祭と呼ばれているそうです。
葵祭の起源は、国内の気候は風雨が激しく五穀が実らなかったので、伊吉の若日子に占わせたところ、賀茂の神の祟りであるというので、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)する盛大な祭りを行なったところ、風雨はおさまり、五穀豊穣になったといわれています。
さすがに京都の祭は、外国人や遠方からの見物客で沿道は溢れかえっていました。
乗尻ー行列を先導する騎馬列(先頭は京都府警の人でした)
牛車(ぎっしゃ)
(風流傘)
「腰輿(およよ)に乗った斎王代」
斎王は伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王のこと。いまではその斎王に代わる人「斎王代」が、葵祭りのヒロインとなっている。2017年の斎王代は、同志社大学2年生の女性でした。斎王代の選出は、京都ゆかりの寺社、文化人、実業家などの主に20代のご令嬢(未婚)から選ばれます。ちなみに斎王代として役目を終えるまで数千万円の費用がかかるといわれています。(行列の費用、衣装代他)今年の斎王代の令嬢は、京都文教学園理事長のお孫さんです。
次に、毎月15日に「手作り市」が開催されている百万遍の知恩寺に行ってみることにしました。
手作り市は、素人が創った手作りの雑貨や器、洋服、バッグから骨董品、食材他様々なものが売られています。見るだけでも楽しいものが沢山ありました。境内の出店も多いけれど、人も歩けないほどすごく賑わっていました。
(知恩寺境内)400店舗前後の出店、人で大混雑でした。
アクセス:市バス「百万遍」下車 京阪電車「出町柳駅」下車徒歩10分
参加方法や開催状況は手づくり市事務局まで問合せ(075-771-1631)
ちなみに京都大学の学食ランチが安くて人気です。(カフエテリアルネ)
吉田神社は、貞観元年(859年)平安京の守護神として創建された。
厄除け、開運の神様として人々の信仰を集めています。また、境内には全国の神々を祀る大元宮や料理の神様やお菓子の神様など様々なお社があります。
大元宮は、始まりの神(虚無大元尊神)を中心に祀り、そこから生まれくる八百萬の神々を祀っています。
(吉田神社 大元宮)
山蔭神社は、料理の神様として日本で初めてあらゆる食物を調理調味づけしたといわれる藤原山蔭卿を祀る社です。
(山蔭神社)
菓祖神社は、お菓子の神様として日本で初めて饅頭を作ったとされる林浄因命を祀る社です。
(菓祖神社)
料理の神様やお菓子の神様を祀る神社があることを初めて知りました。
宗忠神社は、幕末末期の新興宗教黒住教を祭神とし、天照大神・八百萬の神を祀っている。
(宗忠神社 鳥居)
竹中稲荷神社は、吉田神社の末社で、宇賀御魂神・猿田彦神・天細女神。創建等の由来は不明だそうです。
(竹中稲荷神社 鳥居)
(竹中稲荷神社)
(吉田神社 本宮)
吉田神社は、社も多く境内が広いので、山頂まで足をのばすと結構時間がかかります。山頂には吉田山公園もあり、人も少なく森林浴でリフレッシュできる場所です。
吉田山から大文字の山が見えました。
吉田神社を後にすると、目の前に真如堂(真正極楽寺)が現れました。
真如堂は、10世紀末比叡山常行堂から阿弥陀如来を移したのが起源とされています。江戸中期建立の本堂や三重塔が建ちならぶ静かなお寺です。
境内に安倍晴明にかかわるような絵馬があったので調べてみると、安倍晴明が一度他界した際に、冥界の閻魔大王と面会し、「娑婆に生き返ったのであれば、民を救うために使うように」と授けられた「五芒星」の印判「決定往生の秘印」が保管されているそうです。
(真如堂三重塔)
(真如堂 五芒星の絵馬)
丸太町通を歩いていると、お辰稲荷神社という小さな神社に出会いました。平安神宮の近くです。お辰稲荷神社は、「京の風流キツネは、碁の好きな宗旦キツネと琴の上手な御辰キツネ」と謡われ、芸事の神様として信仰され、芸事をする人たちの参拝が絶えなかったそうです。
(お辰稲荷神社)
お辰稲荷神社の中に、福石大明神があります。福石大明神は、高さ1mほどの「福石」(願い事が叶う真黒石)と称される京都の秘石で、幸福と願い事が叶うといわれています。私も一つお願い事をしてきました。
鴨川にいってみると、京都の夏の風物詩「川床」が始まっていました。
(鴨川川床)納涼川床は5月から9月まで楽しむことができるそうです。
なんと!鴨川に鴨が数羽いました。人が近寄っても逃げません。
片埜神社と桜が散った後の京都八幡の背割堤
5月の連休も終わったと思ったら、夏日になっています。体調管理にはご用心。
さて、本日は枚方の片埜神社と京都八幡の桜の花見が終わった後の背割堤と
京都八幡の周辺の様子を紹介します。
枚方市の牧野駅からスグのところにある片埜神社は、垂仁天皇の頃、出雲の豪族の野見宿禰(のみのすくね)が当麻蹴速(たいまのけはや)との相撲に勝った恩賞として、この地を拝領したのがはじまりといわれています。また、野見宿禰の末裔である菅原道真公をともに祀っていましたが、戦国時代の戦乱により荒廃した後に、豊臣秀吉が大坂城の鬼門を守る神として庇護した。(そのため片埜神社の敷地は広大なものだったらしい)現存はしないが大坂城天守の北東石垣に鬼面を刻み片埜神社と対面させたといわれています。鬼門方除け、家相方位の守り神としてご利益があるといわれ、引越しや旅行の前に訪れる人が多いそうです。思っていた以上に立派な神社でしたが、訪れる人は少なくゆっくりと拝観することができます。
片埜神社正門
大阪の鬼門を守る神社として、鬼は片埜神社の守り神とされています。すごくインパクトがありますね!一度訪れると忘れません。豆まきでは「鬼は内」と唱えるそうです。
般若の絵馬
片埜神社本殿(立ち入りはできません)
片埜神社の境内にある稲荷大社
菅原道真にちなんだ牛
片埜神社東門(黒門)
かっては片埜神社の一部であった隣接する牧野公園に足をのばしてみました。アテルイとモレの塚があり、見ているとそばにいた気のいいおじいさんが、歴史の説明を詳しくしてくれました。それによると蝦夷を支配下に置こうとする朝廷軍と蝦夷(現在の岩手県奥州市)のアテルイの間では、何度も武力衝突が起きたが、朝廷軍は何度も撃退された。その後、坂上田村麻呂が征討を行い平定し、アテルイとモレが500余人の兵士とともに降伏した。坂上田村麻呂はアテルィとモレを救い、東北の運営を任せるべきと提言したが、貴族らの反対で処刑された。この枚方市牧野の地がアテルイとモレのゆかりの地として塚が建立された。また、岩手県の地元有志が、坂上田村麻呂と縁の深い京都居水寺にアテルイとモレの追悼碑が1994年に建立されました。
石碑の字は、毎年12月に「今年の漢字」を書かれている清水寺の森清範貫主によるものです。
花見の終わった京都八幡の背割堤にいってみました。花見の時期を過ぎて、自転車ライダーが何人かいるぐらいで、閑散としていました。花見の時の喧騒を思い出すと、兵どもの夢のあとのような侘しさを感じました。
展望台から見た背割堤は右手の宇治川(淀川)と左手の木津川との合流部に位置する。
さくらであい館と展望台。展望台は、花見の季節が終了すると無料です。
イベント広場(淀)花見の時期はいっぱいでした。
京阪電車「八幡市駅」前に「やわた走井餅老舗」があります。走井餅は、江戸時代中期に大津で創業、湧水「走井」を用いて、餡餅を作ったことにはじまります。刀の荒身を模した形は、刀鍛冶が走井で名剣を鍛えたという古事にちなみ、開運出世の縁起を担いだものと伝えられています。
定休日月曜日(祝日の場合は翌日休み)
営業時間 8:00~18:00 駐車場4台
(走井餅老舗)
隣接地は岩清水八幡宮の入り口になります。
高良神社鳥居