酒は飲め飲め~と唄われる「黒田節」誕生の地、京都の伏見桃山へ
福岡民謡の「酒は飲め飲め飲むならば、日の本一のこの槍を、飲みとる程に飲むならば、これぞ誠の黒田節」と始まる「黒田武士」は京都の伏見桃山で誕生しました。
この黒田武士は、貝原益軒が著した「黒田家家臣伝」の逸話が元になっています。
この逸話が生まれた場所が京都市伏見区桃山の御香宮神社が建つ辺りです。
その逸話とは、文禄5年(1596年)黒田家の家臣「母里太兵衛(もりたへい)」が伏見の城下町の大名「福島正則」に招かれ、太兵衛は正則から大きな鉢に注いだ酒を勧められた。しかし、太兵衛はあまりの大きさに断りました。そこで正則は酒を飲み干したら望みの品を与えると言いました。太兵衛は豊臣秀吉から正則に贈られたという座上に掛けられた槍を指し「「あれをいただけるなら」と言って飲み干したといわれています。
この名槍「日本号」は「呑み取り槍」とも称され、現在は、福岡市の博物館に収蔵されています。
(御香宮神社)表門
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